2005年 03月 08日
最近思う、 人は本当に他人に幸せを与えることができるのか? と。 ここ数日、僕は「無力感」を味わう事が多い。 自分にはどうしようもないことがある。 自分ではどうしてあげることもできないことが。 それでも、何かをしたいと思う。 ある友人に対しての話だ。 僕は二日間、悩んだ。 真剣に考えてみた。 今の僕はあの人に何をしてあげれるだろうか、と。 普段、「考えてわからないことなんてない」と豪語していた僕だが、 今回ばかりは、わからなかった。 二日間考えてわかったのは、 自分が特定のものごとに対して如何に無力か ということだけだった。 人は本当に他人に幸せを与えることができるのだろうか? 今の僕は、「幸せ」とはシェアするものという風にしか思えない。 人から人へ、one wayで手渡せるようなものではなくて、 二人、もしくはそれ以上の人間が集まった時に、 そこに産まれる形ない感情で、その場にいる人間だけが感じ、共有できるもの、 それが「幸せ」なんだと思う。 僕があげたいと思うだけじゃ、「幸せ」はその欠片さえもあの人には届かない。 会って話をしよう。話を聞こうとも思った、が、それも叶わなかった。 恐らくあの人はそれだけじゃ何も根本的には変わらないことを知っていて、 それを僕が現実として知ってしまうこと、 そして本人自身が目の当たりにすること、 僕を困らせること、 自分が人を悲しませること、 そんな全ての要素を想定した上で会うことを断ってきたのだと思う。 優しくも強く、不器用な人だ。 でも、きっと正しい。僕はきっとあの人を幸せにはしてあげられない。 どんなに強く望んでも、形のない祈りは現実では見えないから。 「ごめんね」に対する返答は「ごめんね」でしかありえない会話。 そんなものを繰り返すくらいなら、あの人の言う通り、会わない方がいいのだろうか? 「大丈夫だよ」と笑うキミが痛くて、 側にいたくて、何かしてあげたくて、 だけど僕がそう思う度に、 キミが少しでも心を締め付けられるなら、 僕はいっそ全てを忘れた振りをして、 涙なく泣いた方がいいのかな? 「僕にできることがあったら言ってくれ」なんて言って 自分が何かした気になって安心するのも嫌だから、 敢えてそんな事も言わないよ。 ただキミがいつか、 本当に全てが嫌になって、 自分が嫌になって、 何もかも捨てて、 過去も未来も全て忘れて、 自分ではどうすることもできない何かに身を任せるのだとしたら、 その時は僕を呼んでください もしもキミがゆくのなら、 僕も一緒に逝ってあげるから
by quasi-world
| 2005-03-08 00:48
| 詩
|
アバウト
カレンダー
Info.
『サンカクカンケイ』
(著・小手鞠るい) 好評発売中です!! 『エンキョリレンアイ』 (著・小手鞠るい) 10万部突破!!☆ ↑僕が表紙の写真を担当した書籍です。みなさん、是非手にとってご覧になってみてください! ☆☆HPはこちらです☆☆ 写真と詩の融合作品などを載せています。物事の「もうひとつの見方、考え方」などを皆様に伝えられたらと思っています。 http://quasi-world.jp ランキング参加中↑↑ ☆LINK☆ EsplanadeNEW!! ROOM M SUMIHIDE フォロー中のブログ
>>hanaの東京散歩<... 多事論争 neXt 陽炎 無言のしるし 無口のきろく nagare マイ・ファニー・タクシー 御の字 カタストロフィワールド クロスロード@ミスターチ... chocograph 水中散歩 memoire fibfish 時の粒子。 Ao-zora Gallery calcutta caf... カフェARUJIのつぷやき カテゴリ
全体 ニュース 哲学 写真+詩 詩 仕事 音楽 映画 本 旅 リストカットシンドローム2 エンキョリレンアイ サンカクカンケイ quaff 西郷燿子 FREEASY BEATS 心に触れる言葉たち はじめましての方へ 博士とハドソン 日記みたいな 隣人のキラメキ cafe 未分類 以前の記事
ライフログ
タグ
写真
詩
ひとり言
ライブ写真
デザインフェスタ
イベント
quaff
東京サーカス
伊坂幸太郎
小説
cafe
映画
on your mark
小手鞠るい
Mr.Children
演劇
スタジオ撮影
Loddy
カフェ
高円寺
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||