隣人のひとり言

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カテゴリ:哲学( 87 )


2007年 05月 30日

会社アレルギー


知人のそのまた知人の話。

その人は、会社でのストレスのため
精神的なバランスを壊してしまったらしい。

会社に来なくなって数週間。
家からもほとんど出ないで、
時々精神科に通うくらい。


とりあえず一ヶ月の休暇をとるらしい。


会社というものを僕はあまりよく知りませんが、
一ヶ月休めば何かが変わるものですか?

会社はきっと一人の社員のために変わったりしないだろうし、
彼もまた 休んだからといっていきなり人格変わって元気にやってくる
なんてことないだろうし。


こういうのって例えば、
人参嫌いな子供に どうやったら人参を食べてもらえるか、
っていうレベルではないと思うんですよ。

「人参が嫌い」ってレベルであれば
スープにしたり、細かくしてチャーハンにいれたり、
キャロットケーキにしてみたりと、
いろんなごまかしがきく、と思うんです。


でもね、こういう人は「会社嫌い」なんじゃなくて
「会社アレルギー」に近いと思うんです。


「人参アレルギー」の子に、
どうやって人参を食べさせようと、
やっぱり拒絶反応はでちゃう。


だから 根本的解決方法は
「人参を食べない」
「会社をやめる」
しか ないと思うんですよ。



愚痴レベルなら全然普通なんで
誰でもあると思いますよ。


人参だって、
「別に好きじゃないけど、食べれないわけじゃないよ」
って人は多いだろうし。
そういう人は、栄養あるからとか、プラスの面もみつけられて
自分を納得させられるし。

だから、愚痴を言うぐらいの人は
別に会社を辞める必要はまったくない。


でもさ、
体壊してさ、
精神的に病んでさ、

それでも その会社に行く必要って 本当にあるのかい?


僕にはね、
なんだかみんな生きることに必死すぎて
楽しむということを
どこかに忘れてきているように思えます。


アレルギーがでない会社が
どこかに必ずあるから、
それを探していっても 
全然いいと思いますよ。

むしろ そうすべきだと考えます。



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KIRA
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by quasi-world | 2007-05-30 10:20 | 哲学
2006年 12月 20日

沢山寝ることは、現実を生きることとどう違うのか?



はい 最近タイトルに書いたことをよく考えます


例えば、人間が一日12時間寝ないといけなくなったら

そのときそこに 「夢」「現実」の違いに価値の差は生まれるんだろうか?と。


僕らは寝ると夢をみます

「最近夢見ない」なんて台詞を言う人がいますが、
人は寝ていると、ある周期で必ず夢をみています。

ただ覚えていないだけで、必ず見ます。

起きたときに覚えている夢は、その直前まで見ていた夢だけで、
寝始めてすぐ見た夢は忘れてしまうようです。



僕の疑問は、
「夢」でも人が生きてるし、
「夢」でも自分が登場するし、
「夢」でも世界が存在するのに、
どうして夢から覚めた「現実」の方がこんなにも具体的感情をともなうのか、
ということ。



ひとつ 聞きたいのですが?

いま、ここで生きていて、
「現実」の中で僕らは「夢」の話をしますが、
じゃあ逆に、「夢」の中で、
その世界とは違う「現実」の世界があるんだ
と意識したことがある人はどれくらいいますか??



おぼろにしか覚えていない「夢」だから
もしかしたら意識もしてるのかも知れないですが、
その記憶を持って目覚めることはない、と思いませんか??


「夢」の方が、完全に独立、孤立した世界で
それが故に完成された世界なんじゃないか、
そう思えることがあります。

他をよせつけない、ひとつの内なる世界といいますか・・


なんとなく精神的に「自由」な気がするんですよ。


覚えてないだけで、本当は自由な世界な気がするんですよ。


人間が一日にとる睡眠の時間が
もっともっと伸びたとして、
平均16時間寝るとしたら、
きっと「夢」の方で僕らは生きれるんじゃないだろうか?


現実が嫌いなわけじゃないし、
逃げたいと思ったこともないけど、

人間が探し求めている理想郷が
ひょっとしたら壁を一枚隔てて裏っかわの、
そんな身近なところにあって
いつも見ていたのに「よく見ていなかった」なんて言ったら
微笑ましいくらい情けないオチだなぁ〜と、思ったりしたんです☆



死後の世界ってのが
「夢」の世界だったとして
24時間睡眠の現実ということなら
僕らにとっても少しは受け入れやすい。



KIRA

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by quasi-world | 2006-12-20 10:46 | 哲学
2006年 11月 01日

多数決。


例えば、6人の人が一部屋に集まって

そのうちの5人が喫煙者だったとして

そこが密閉された喫煙所のように

煙たくなるのは仕方ない

非喫煙者のためにできることは少ない

喫煙者は気持ちはそんなに咎めない


これが逆の立場で

5人が非喫煙者で1人が喫煙者だったら

喫煙する者の肩身は狭い

ちょっとでも嫌な眼でみられたら

たちまち煙草を押しつぶすだろう

悪いことをしているわけでもないのに



つまりのところ

多数決というのはそういうことだ

そこには

真実も正義もない

人は周りの人と足をそろえて歩くことで安心する

ただ それだけのことだ

世の中の多くのことが

多数決で可決されてゆく

傷つく人の割合が少ない意見を無視しろ

そう歌いながら


1人 vs 100人の戦いで

1人の方が勝ってもおかしくない時代が

いつかくればいいのにと 願ってやみません



本当の真実に辿り着くときはいつも独りで

1人で辿り着いた事実など誰の耳にも響かない



ふと、そんなことを思ったハロウィーンの夜でした。



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KIRA
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by quasi-world | 2006-11-01 09:59 | 哲学
2006年 09月 25日

count to 100

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最近よく疑問に思うんですが、

人っていったいいくつまで正確に数えることができるんですかね?


あ、いやいや、そんな何億とか何兆とかの話ではなくてですね、
100、200の話です。はい。


例えば、何か紙の枚数を数えると想定しましょう

10枚の紙を数える。

はい、それは簡単ですね。

僕だって自信をもって 『できます』 と言えます。


20枚?


まあ、できますよ。


30枚??


うん、たぶんできるよ。


40枚???

うーむ・・・


50枚????


むむむむむ・・・・





例えばですよ、

「これ50枚あるはずだから、確認しといて〜」

と紙の束を渡される。

数えてみる。


47、48、49・・・ あれ? 49だ。
いや、でも50あるって言ってたし、
一枚くらい数え間違いでしょ、問題ない問題ない。


そういうことってあるでしょ?


真面目な人はもう一回数える。


47、48、49、50!! よし、やっぱりちょうど50だ、間違いない!!

となる。



でも、それって本当にそうなんですかね?


実は本当に49枚しかなかったら?


一度目に数えた方が正しくて49枚で、
二度目に数えた方は間違って50枚だったら??






数なんて誰でも数えられる


だけど、それが合ってるかどうかを判断するのもまた
数えた人自身って、

なんか矛盾してない??



そう考えて行くと、ぱっと見てわかるような少ない数じゃない限り、
どんな数も、

正確に数えているというよりは、

正確に数えていると思い込んでる に過ぎないような気がして・・・





特に意味はないんですが、
なんか最近ふっとそういうことを考えてしまって、


改めて人間の脆さみたいなもんを痛感しています




『人間の体には、ひとつも無駄な部分がない』

と、昔ある人が言ってました。


完璧なんだと。




僕はその言葉がひどく怖かった。


それはつまり、
何かひとつでも欠けたら
その時点で人間は、ものすごく不便になる

そういうことなんじゃないか。




ぎりぎりの綱渡りのような

居心地の悪い安定感ーー







心臓の鼓動は生きてる証ではなく


死へのカウントダウンに聞こえる。




僕は何にそんなに 怯えてるんでしょうか











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KIRA
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by quasi-world | 2006-09-25 22:25 | 哲学
2006年 03月 26日

海や炎をいくら見ていても飽きないのは
人の本能だと聞いたことがあります。
その昔人は、海で魚をとり、山で肉をとり、
炎の周りで暖をとったといいます。

暖かい炎を囲み
どんな話をしていたのでしょうか


その頃の人の悩みはどんなものだったでしょうか


海で魚がとれなければ、
山で肉をとればいい。

山で肉がとれなければ、
海で魚をとればいい。


現代では、そんな単純にはいかない。


海でも山でも解決しない悩みがある



よかったね、人口が増えて。

いまのあなたには、
一緒に暖をとる仲間が沢山いる。



よかったね、技術が広まって。

いまのあなたには、
山をこえなくても話せる相手がいる。



確かに、複雑化した現代の悩み。


それでも僕は思う


魚をとって、肉をとって、暖をとるだけの暮らしよりも
今の暮らしの方が遥かに幸せだと。


人は恐らく弱くなっている。
それは、一人で強くいる必要が少なくなったからだと思う。

頼る人間がいるから、
しっかり見て、しっかり話して、しっかり聞いてみてごらん。



僕が助けてあげるから、
僕らが助けてあげるから、
あなたが望むなら、
幸せな約束を沢山しよう



賢くなった人類の英知は、
今や山よりも高く、海よりも深い。


僕はそう 思うんです




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KIRA
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by quasi-world | 2006-03-26 10:05 | 哲学
2006年 01月 18日

1/18 人は何故泣くのか

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昔から、泣くのは赤子の仕事だ

そうよく言われる。それくらい赤子は泣く。

わんわん泣く。ちょっとしたことで泣く。すぐ泣く。


何故か?


それは単純に、それしか意思を伝える手段がないからだ。




赤子が泣けば、親はその理由を考え、対処する。


赤子は泣く、伝えたい気持ちをうまく言葉にできないから、泣き叫ぶ。



「助けてくれ」と、泣き叫ぶ。






みなさん、最後に泣いたのはいつですか?

どうして泣いたか覚えています?

どうやって泣き止んだか覚えています?

泣いてる間、何を思って泣いたか、
何を望んで泣いたか、
何を意図して泣いたか、

覚えていますか?




僕はあんまり泣かないんですよ。


あ、誤解のないように言っておきますが、
僕がここで言ってる泣くというのは、悲しくて、悔しくて泣く、涙のこと。

うれし泣きや感動して泣く涙のことではないですよ。




さて、話を戻しまして、

僕はほとんど泣かないです。



大人だから当たり前?

まあ、それもあるでしょうが、よく泣く大人もいますよ。



泣くことが悪いとは思いません。

「泣けばすっきりする」 うん、その意見は正しいとも思う。


泣きたい人は泣けばいいと思う


でもね、覚えておいてもらいたいのは、

それでは何も解決しないってことです。



大人の問題って、頭で考えて解決するもんですよ、
それも自分自身で。


赤子みたいに、困ったら泣いて、
すぐ他人に手をさしのべてもらおうとなんかしちゃいけない。


泣いてもいいから、考えることを諦めないで欲しい







た〜んじゅんに考えてみてくださいよ、

もしもね、もしも〜泣くことで何かが解決するなら、
人類は赤子からの成長期に『泣き止む』という技を身につけなかったと思うんですよ。


本当は子供のころに、無意識下に一度悟ってるはずなんですよ、


『ああぁ、泣いても駄目なものは駄目なんだな』


って。



みんなそのはずなんですよ。
だけど、大人になって、時々その悟りを忘れちゃう。

そして泣いちゃう。

赤子に返っちゃう。



泣いてすっきりするのは痛み止め。


ガンはまだ、そこに根付いているよ。




根っこを取り除くには 頭を使うしかない。


それができるんですよ、僕らには。


僕ら 大人には。



もう赤子じゃないんですから、
きっともっとすっきりする方法をみつけられるんです。
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by quasi-world | 2006-01-18 14:18 | 哲学
2005年 12月 29日

12/29 ひとりでいる

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ひとりでいるのは それなりに自由で、

それなりに寂しくもある


それよりも何よりも、世界のひとりに対する態度は

すごく冷ややかなものだな〜と、

今日仕事をしながら ふっと考えた。


ひとりで何かしようとした時、
例えば、ある晴れた午後に、子供が楽しそうに遊んでる公園の中で
いきなり踊り出した一人の青年。


子供の親は、そんな奴が側にいたら正直焦りますよね
子供に「みちゃダメ!」とか言って、早々に家に連れて帰るかも知れない。

変な人がいますって交番に報告にいくかもしれない。


あれ狂うように音楽に合わせて踊る青年は、
ただ踊りたかっただけなのにも関わらず・・・


これが例えば二人で踊っていたらどうなるだろう?

二人で音楽に合わせて やはり狂ったように踊る

しかし そこには何らかの意図や意味合いがあるように見えるのではないでしょうか?
何かの練習をしてるように見える。
何かを目指してる熱き若者にみえる、のではないだろうか?


子供を遊ばせてる親たちも
「あ、なにかやってるわね〜。」
くらいの認識にとまるのではないでしょうか?


これが三人なら、五人なら?


「あ、おもしろそうなことやってるわね〜、ねぇ、一緒に見に行ってみよっか?」

みたいな流れになって、
その周りに子供を抱いた親たちが集まってきたり?




ま、想像ですけどね。

勿論、踊ってる青年のビジュアルにもかなり影響されますから、
一概には言えないですが、
一人でやるよりは大人数の方が、
世界に受け入れやすいのではないかと思うわけです。



思ったわけです。


意味は特にないです。



ただ、世界が変わるのを待っててもきっと変わらないと思う。


だからって世界に合わせてもキツい。



僕は一人でやりたいことは ずっと一人でもやっていきたい

二人でできることは 二人で道を探したい


そう  思うわけです。




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KIRA
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by quasi-world | 2005-12-29 19:39 | 哲学
2005年 12月 15日

12/15 世界の平和よりも一本のタバコ

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先日、伊坂幸太郎の新作『砂漠』を読んだ。


その中で引用されていたサン=テグジュペリの文章で
こんなものがあった。



『人間とは、自分とは関係のない不幸な出来事にくよくよするものだ』




うーん、深い。


どうしようもないことはどうしょうもない。
そう割り切ろうとすることはできる。

例えば、世界で起きてる戦争、災害、飢餓、貧困など。



自分ではどうしようもないと思えること

何もできないのに、
何もできないって考えることはできる。



そういった歯痒さや、苛立たしさ

誰でも持ってるかも知れない



それをどうしたらよいのか?

ではなく、

それこそが人間の特性なのだ、
そう言ってるサン=テグジュペリはやっぱすごいかも。



行動起こすか起こさないかは
本人が決めればいい。


何かをやってもやらなくても、
非難されることもあるし、
褒められることもある。






ボクが大学生の頃、
ある友人は『国連サークル』と呼ばれるサークルにはいっていた。

その彼は平和を熱く考える熱い男で、
そのサークルが何かのミーティングを開いた時に、
その場に講演者として国連の人(元国連の人?)かなにかがきて、
いろいろと話をしてくれたらしい。

そして最後に質問を受け付けた。

そこでボクの熱い友達は手を挙げてこう訊いた。


『世界平和は叶うと思いますか?』



国連の人の答えは明快だった


『いや、それは無理だろう』





ボクの熱い友達はかなりのショックを受けていたが、
ボクは国連さんの意見に「その通りだろう」と頷いた。






世界平和をうたってる皆さん、


この世には、みんなが同じように見てる世界なんてないんですよ。



統一も共有も無理ですよ。




ボクらはボクらの世界をそれぞれ生きてるだけで、


大事なのは、
そのそれぞれの世界にどれだけの大切な人を呼べるか、
どれだけの愛おしい場所を作れるか、


それに 尽きるのだと思う。
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by quasi-world | 2005-12-15 22:02 | 哲学
2005年 11月 18日

11/18 頭が良い


先日、たけしの番組で、
「日本の教育を考える」みたいな感じのがやってた。


その中で、

『頭が良い人とは、どういう人のことだろうか?』

という疑問を論議していた。


いろんな人に上の質問をすると、
やっぱり答えは様々。


人それぞれ、「頭が良いと判断する要素」に違いがあるのは当然だと思う。


その中で、僕が思う頭の良さにもっとも近い意見を述べたのが、
斉藤なんとかっていう大学の教授。(本も出版してる。斉藤学?だったかな?)

彼曰く、

「頭が良い人とは、文脈力のある人のことだ」


僕も、ずばりその通りだと思う。




人の会話というのは、その人の全てが出る気がする。

会話の内容は勿論のこと、
その知識の深さ、
話の振り方、変え方、
相づちのつき方、
話の運び方、
聞き方、
まとめ方など、

様々な部分で、その人の頭の回転力が試される。


簡単な話、人と話すと、だいたいその人がどんな人かわかるし、
どのようなものの考え方してるのか、
どれくらい「頭が良い」のか、

そういったことがすぐわかる。



会話が下手な人っていますよね?
僕が一番苦手なのは、
①自分のことしか話さない人
②話の流れを途中で切る人(そして切ったことにまったく気付かない人)


こういう人って、意外と多いですよね?

みなさんの周りにも少なくとも一人はいるはずです。


じゃあ何故、こういう人が存在するのかな〜って考えてみた。

自分のことしか話さない人、
そういう人って、つまりのところ、
「他人の話を聴けない人」なんですよね。

こっちが何を言っても、次に自分が話すことしか考えてなかったり、
こっちの話を聴いてても、その内容をふまえて何かに繋ぐって作業ができない人。


人って、本能的に、自分のことを話たいっていう感情が
多少はあると思うから、
自分のことを話したくなる気持ちは分かるんですが、
それをコントロールできない、ってのは、やっぱ問題ですよね?

我慢できない、だけですもん。そんなの。情けないっすよ。


そういう人だから、
他人が話してるのを聴いてると、
段々自分もしゃべりたくなって、
何かいっこ自分の話に繋がるワードがでてくると、
そこからいきなりカットインしてきて、
話を全部もっていっちゃう。


相手が何かおもしろい話をしてるなら、
そのオチがいっそう盛り上がるように間の手をいれていかなきゃ。
で、オチがでてから、自分の話にスムーズに繋げる、
それが大事だったりしますよね?



そんなことを考えていたので、
「頭のいい人とは、文脈力のある人」という意見に大いに納得。






まあ、もうひとつあげるなら、
予てより僕がよく言ってるソクラテスのお言葉

『本当に賢い人間は、自分が知らないということを知っている人間である』

これに尽きる。


なんでもきめつける人いますよね?
しかもネガティブな方向で。


自分はこれができない、無理だ、とか、
自分はこういうことはしない、したくない、とか。


自分で限界決めてどうすんですか?


そういう人に限って、大してやりたい事もなかったりするんですよね。


僕、そういうのが嫌いなんです。



知らないことなんて山ほどありますよ

なに知ったかぶりして
「無理だ」とか「やらない方がいい」とか言ってんですか?



自分では、「自分のことをよく知ってる」つもりなんでしょうが、
人間ってのは、完成したらオシマイですよ。


完成しちゃ、いけないんですよ。


完成ってのは、もうそれ以上変化しない、進化しない、
成長しないってことです。

自分の性格、性質、全てを把握して、
可もなく不可もなく、
無難に生きれれば万歳、じゃないんですよ。

わかりますか?



完成しちゃったら 終わりなんです



完成したら、 もう 身動きがとれなくなるんですよ・・・





いつまでも

『知らないことはまだまだある』

と、思いながら生きていって欲しいです。
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by quasi-world | 2005-11-18 21:16 | 哲学
2005年 10月 08日

10/8 アインシュタイン

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先日買ったNewton 別冊 『相対性理論』

すごいおもしろいです。

やっぱアインシュタインはすげぇぇな〜って改めて尊敬。


で、
ここで彼を褒めちぎってもありきたりなので、
今日はちょっと、
尊敬する彼の頭脳に、
疑問を投げかけてみたいと思う。


無理矢理、投げかけてみたいと思う。




そもそも、彼は人が疑問に思わないことを疑問に思い、
そこに答えを出して来た。

例えば、「光速度不変の原理」とか、
一見したところ、「それ、おかしくねぇ??」って思うようなことを
「いいや、おかしくない」と、言いきってるところがすごい。


あ、なんか褒めてるな〜(汗)疑問をなげかけなきゃ・・・




えー、そう、これはアインシュタインだけに言えることじゃないんですが、
僕がいつも思うのは、



『どうして人間は全てが人間の頭で理解できると思うのか?』

そしてまた、

『どうして理解できる事象が、イコール真実だと信じるのか?』

ということ。



どうもそこが納得いかない。
人間ってそんなにすごいかな??

人間の理屈が宇宙に通じるかな?





『人間に理解できる』っていうのは、
例えば手品のタネを見破るのに似てる。



ある人が眼の前で手品をした。
右手に握ってたコインが、一度振ると消えてなくなった。


それを観てた一人の人が、
「そのタネはこうだよ〜」と言った。

周りで観てた人も、
「おぉ〜なるほど、なんだ意外に簡単なタネだな〜」と笑う。






これで何を証明したことになりますか??

『手品のタネ』をあばいた事になりますか???


そう、かもしれない。

ですが、見方を変えればそれは、

「人間の頭で理解できうる範囲での最も理論的な説明」にすぎない。


右手からコインを消すことが、

タネのある手品なのか、

あるいは、

タネも仕掛けもない超能力なのか、


僕らにはその違いを区別することはできない。
だって結果は同じだから。





アインシュタインは何を伝えたかったんだろうか。

沢山の発見をして、人々を納得させ、
歴史に名を刻んだ。



彼の名言のひとつに、

「神はサイコロを振らない」

というのがある。

ここでの神は、自然界そのものを示していて、

「この世に偶然というものはなく、その偶然と呼ばれるものですら、ルール、法則がある」

って感じの意味だったと思う。(ちょっと曖昧(汗)




人間の脳は、へりくつを作り出すのが上手いのかも知れないな〜。

どんな現象にも無理矢理ルール、規則性を生み出せる。
そして理解した気になれる。
そこにあるリミットを見て見ぬ振りをして・・・





「光速度不変の原理」
観測する場所がどんな早さで動いていても、光は常に一定の速さで進む、
というもの。


これってすごい発見ですよ。確かに凄い。


でも、「一定」って感覚が人間の内側にある基準だから、
外界としてそれが本当に真実かも分からない。



「・・一定の速さで進むように人間には見える」とか言うなら、

「あ〜、人間界ではそうなのね〜」と、素直に納得できるんですがね(笑)



いや〜ややこしい(>_<)

ま、僕がアインシュタインを好きなのは、
彼の数々の発見もさることながら、
その頭の柔らかさに惚れてますから。


人が疑問に思わないことを真剣に考え、
時には常識すら疑う、


それが僕が目指す理想の生き方像かも知れません☆
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by quasi-world | 2005-10-08 23:40 | 哲学