隣人のひとり言

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2004年 09月 30日

9/30 天才

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このブログでも何度か触れたかと思いますが、
作家、伊坂幸太郎、彼は天才だと思います。

いろんな作家がいる中で、僕が伊坂幸太郎が一番好きなのは、
彼の書く世界が軽快で快活で深く、謎めく、哲学的な知識にも
溢れている、そういう理由以外にもうひとつある。
それは、彼の書く作風がまさに僕の書きたい理想の作風だからだ。


どんなものにしろ、自分の『理想』に出逢うというのは
とても素晴らしい感覚だと思います。
出逢ったら本能的に分かるんですよね、そういうのって。
ピーンと来るっていうか、なんというか。

自分が目指す何かが形として存在してる、
まあ参考という意味ですが、
それってすごい目標がはっきりしていいですよね。
勿論その目標は山の八分目くらいのところに置きますけどね(笑)
あくまでも最終ゴールは、頂上、その目標を超えてやることにあります。

僕の敬愛する天才、伊坂幸太郎。
僕はいつか必ず彼を超えてやろうと思います。
根拠?
ないですよ
実力?
まだありません
自信?
だけはありますね(笑)

そのくらいの気持ちがちょうどいいんだと思います
このシビアな人生を生きるには、
心持ちくらい軽い方がうまくいく。
そんな気がしています。
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by quasi-world | 2004-09-30 22:55 |
2004年 09月 27日

9/27 アイデン&ティティという映画

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僕はロックを歌わない
僕はロックを聴かない
だけど
ロックな生き方はすごく好きだ。

「ロックな生き方」なんて言うと、
少し気恥ずかしいくらい使い古された
言い回しかも知れないが、いや、
きっとそうだろうが、それでも他に
なんと表現していいか分からない。

自分を持つ事
そしてそれを持ち続ける事
貫き続ける事
信じた事を信じ続ける事
自分を信じる事
他人に負けない事
納得のいかない事に納得しない事
面白くない事を笑わない事
人の生き方をうらやましがらない事
過去を振り返り後悔しない事
尊敬する誰かを持つ事
「これでいいや」なんて妥協の大人にならない事
うまくなくても素直に生きる事
不幸でも笑って過ごせる事
自分では不幸だと思わない事

なにより
自分というものを握りしめしっかりと持つ事

それが
ロックなんじゃないだろうか?


『アイデン&ティティ』という映画は
いろんな事に改めて気づかせてくれた。
考えれば考えるだけ不安がつのるこの世の中で、
自分がどう生きるべきかみんな悩む。
例え間違っていても、答えを出した事自体に
安心して生きてる大人達と比べながら
自分というものの模索を止めない。
そういう生き方がある。

問題というのはどんなものも、
早く答えを出すことに意義があるんじゃない。
正確な答えにこそ意味があるんだと思う。
正直な答えにこそ。
5年前、当たり前だと思ってたそんな真実も、
今じゃヒトに言われないと思い出さなくなっていた。
時が過ぎれば不安はやはりつのり、
実現という言葉がひっくり返り、現実となっておしよせてくる。

僕の実現は何処だ?
「天下をとってやる!」と燃えていた炎は何処だ?


・・幸いまだ、燃え尽きてはいなかったようです
心の底にしっかりと、今もしっかりと、持っていました


やらなきゃならないことをやるだけさ。
だからうまくいくんだよ。


でしょ?そうでしょ?
やっぱりね。
僕はやっぱり間違ってなんかいなかった。
間違ってなんか、いなかったんだ。
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by quasi-world | 2004-09-27 22:59 | 映画
2004年 09月 24日

9/24 ジョゼと虎と魚たち

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今日、久々に邦画を見た。
『ジョゼと虎と魚たち』という映画だ。

とある友人が
「ものすごく切ないよ」
と感想を残していたのが頭にひっかかっていた
それが見る理由になった。

どうしてなんでしょうね、
自分が切ない気分の時に切ないものを見たがるのは。
仲間が欲しいのでしょうか?
共感、共有、投影、相互理解、人の不幸で我が幸せを感ず、
ですかね?
ま、どんな理由にしろ、今は幸せな映画を見たい気分でないことは
確かです。

理解が深くなるってのが一番近いかも知れませんね。
切ない人間は「切なさ」に敏感で、繊細で、脆くて、深く接することが
できる。
たぶん、必要以上に。

同じ食事でも、腹いっぱいの時に食べるより、空腹時に食べる方が
おいしく感じる。
そんなようなもんかも知れません。

要は自分が今立っている状況次第で、世の中は違って見えるってことです。
嫌なことばかり経験してる人に、
「がんばれよ、世の中そう捨てたもんじゃないぜ。はははっ!」
なんて台詞がどれほどの意味を持つのか
自問するだけでうんざりしますね。

よく、
『私があなただったら・・・』
なんて言って、こちら側の立場に立った振りして
アドバイスや説教をする人々がいますが、
あれってまったく意味ないですよね。

これ、ちょっと深く考えないと分かりにくいんですが、
「私」が「あなた」だったら、の時点で、
もう問題がすり替わってますよね。
あなたは私じゃないわけだから。
あなたがどう生きれるのかはどうでもいい。
私が私の経験と能力と性格で、
この状況をどう乗り切るべきなのかを教えて欲しいわけなのに。
私はあなたにはなれませんから。

アドバイスくれるなら、
『私だったらこうするけど、あなたの場合はたぶん性格上それは
無理だから、例えばこうしてみたら?こう考えてみることはできるんじゃない?』
みたいな言葉が欲しいもんです。
押しつけや参考例はいりません。
私の気持ちを汲み取って、読み取って、そして助けてあげてください。

相手の立場になって考えるというのは、
その状況に自分を置くってだけではなく、
相手そのものに自分がなりきって、考えるということです。
それは甚だ難しい。
だからできれば価値あるのだと思う。


・・・・映画の、話をするつもりが、また逸れてしまいましたね。
すいません。
『ジョゼと虎と魚たち』、現実で僕たちが、目をそむけがちな
真実があります。
露骨に容赦なく、自然に、痛い。
そんな話です。

人は強くなるのには、限界があるんでしょうか??


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HPはこちらでぇす
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by quasi-world | 2004-09-24 23:54 | 映画
2004年 09月 23日

9/23 いつの日にか





先日、とても素敵な詩と写真のポストカードに出会えた。

思わず衝動買いしたそれには、こうあった


『いつの日にかまた、同じ気持ちで出逢えますように』


本当に本当に、そう思います。
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by quasi-world | 2004-09-23 21:11 |
2004年 09月 22日

9/22 50日前


左手がボクを呼んでいる

もういい加減
あの子を解放してあげなよと
代わりに僕を傷つけなよと

今でも想っているんだろ
あの子を守ってあげたいと

左手がボクを呼んでいる
おいでよとまさに手招きしてさ
幸せにはもうできないけれど
不幸にしないチカラはあるさ

だから 僕を傷つけなよ
痛みはいつか消えること
深いと傷が残ること
僕が身を以て教えてあげる

彼女の心に本当に
傷を残すつもりなのかい

傷つくのは一人でいい
苦しむのはもう独りでいいさ
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by quasi-world | 2004-09-22 21:14 |
2004年 09月 22日

9/22 心に触れる言葉



はっきり答えを出せばまた君も消えるの

ひとりただ さみしくて思わせぶりした
君が今信じてるような女じゃないかもよ私

私に好きな人がいると
君は気づきはじめているね・・・
それでも諦めずにそばにいれば
振り向くかもなんて思うの・・・・?

君を見てると私見てるようで情けない

恋が今苦しくて負けちゃいそうだよ
本当の彼のこと何にも知らないくせに私

ひきょうだとわかってる わかってるのに
誰か今そばにいてほしくて気を引いてる

恋が今苦しくて負けちゃいそうだよ
君が今信じてるような女じゃないかもよ私




ーーーーJungle Smile 『疑似恋愛』
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by quasi-world | 2004-09-22 19:59 | 心に触れる言葉たち
2004年 09月 21日

9/21 生と死の同居

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昨日ほど、
「生きたい」という気持ちと
「死にたい」という気持ちを
同時に強く感じたことはない

この二つの相反する感情が同時に存在しうる事に
少しの驚きもあった。
でも、考えてみれば単純で、
「生きたい」と思わせるものと
「死にたい」と思わせたものの起源が
まったく別のふたつのものだったから
起こった現象なんだと思う。


昨日、五年ぶりに友人に会った。
僕が以前インドを訪れるきっかけとなった人物だ。
インドの古典楽器シタールの奏者で、
昨日はそのライブを見に行った。
彼は相変わらず、人生を振り返ることなく、
自分の意思をしっかりと持って、
とても輝いて生きていた。
本当にかっこいい生き方をしている一人だ。
数少ない、ひとりだ。

そういう人物に会うと、
「自分はいったい何をしてるんだろう?」
という気分に多かれ少なかれどんな人でもなると思う。
僕もまさにそうなった。
五年前もそう思い、反省し、この五年間自分を納得させる
生き方をしてきたつもり、いや、してこようと思ってたつもりだった。
だけど、忘れてしまってたんですね。
どこかに置き忘れてきてしまってました。
そんな事に、昨日気づきました。

もっともっともっともっと、
突き詰めてやらないとダメですね。
同じ種類の人間しか入ってこれないような世界観を
作るくらいの気持ちでやらないと、自分というものが
完成しないような気がします。
排他的という意味ではないですよ、ただ、違う種類の人間から
叩かれてもへこまない意志を築き上げないといけないなあ、
そう思いました。


僕が昨日「生きたい」と思ったのは、
まだ自分は自分になりきれていないし、
今後そうできるはずだという希望の光を自分の中に
半ば無理矢理(笑)見つけたからです。

まだ、出会えてない自分がいるのなら、
僕はそれに会ってみたい。


僕が昨日「死にたい」と思ったのは、
ずっと『理解できない』と思い、世界や社会という
漠然としたもののせいにして来たものが、
急に『理解したくない』だけだったという事に気づいたから。
気づいてしまったから。

見ない振り、気づかない振りしてただけで、
本当はずっと分かってたんですよ、心の底の方でずっと。
ただ、信じていたかったんですよ。
ただ、認めたくなかったんですよ。

ある小説の主人公で、人の嘘が全て分かる、という設定が
ありました。嘘をついてるかどうかが、相手の言葉や行動から
分かるというキャラクターでした。

同じような感じで、
僕は自分に嘘をついてる人間や、自分に無理をしている人間というのが
すぐ分かるんですよ。
本当に、すぐ分かるんですよ。
でも、そういう人間ってのは、嘘で自分を守っている場合が
ありますから、なかなか露骨に「嘘で生きるな」とは言えない。
そんなことを言うと、あっさり崩れさってしまいそうで不安なんです。


昨日だから、よかった。
「生きたい」というチカラを同時にもらってなければ、
僕の人生なんて、今日終わっていてもおかしくなかった。

世の中はたぶん、想像以上にうまくできてる


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友人のシタール奏者Tadao IshihamaのHPはこちら
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by quasi-world | 2004-09-21 11:17 | 哲学
2004年 09月 18日

9/18 NYという街

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先日、ある友人がNYに旅行に行った。
そろそろ帰ってきているはずだが、未だ連絡なし。
うむ。
かっちょいい黒人にでも惚れ込んで、不法滞在でも決意したか。
ま、それもよいでしょう。
Nちゃん、帰ってたら連絡くださいな。

さて、僕は過去に一度だけNYに行ったことがある。

あれはまだ二十歳くらいの頃だったと思う。
NYに住んでる友達を他の二人の友達と訪ねて行ったのだ。

当時の事を振り返ると、まず思い出すのが
『太ってたなあ〜』
ということ。

僕は高校時代からずっと体重が変わらなかったのですが、
あの頃はアメリカに住み始めた頃で、
異文化の中での暮らしというストレスと、
殺人的な甘さのお菓子にやられて体重が70kgになっていた。
175cmで70kgっていうと、ま、別に普通っていえば普通ですが、
過去、そして今も64kgという体重を維持してたので、
70kgの大台に乗ったのはちょっとびっくりでした。
NYでの写真を見ると、確かにあごまわりが・・・・(汗)

で、何が言いたいかというと、
まず太ってたという事を思い出すくらい、NYという街に関しては
大した印象が残ってない。

エンパイアステートビルにも登ったさ、
マンハッタンも練り歩いたし、
自由の女神も拝んだ。
でもなんか、予備知識として知って、イメージしてた空間の中を
ただ歩いたような、そんな感じだった。
意外性、というものに欠けてた気がする。

勿論滞在期間が短かったことも原因だとは思うが、
それにしても希薄すぎる。

あ、そうそう、月は遠くから見るから美しいって言うでしょ?
あれって自由の女神にも当てはまることで、
あれを登っちゃいけない!
一応足元からてっぺんのクラウンまで登れるように
なっているのですが、なにせ階段が狭い狭いっ!!
非常階段なみに非常識に狭い。
ぐるぐるぐるぐる回りながら登っていくのですが、
やっとてっぺんに着いたあ!と思ったら、
そこには畳二枚分くらいのスペースに
申し訳程度の小窓があるだけ。

苦労して登ったのに、
『人生そんなに甘くないよ』と言われてるような気がしました。

太ってたこと、自由の女神をFuckin' Statueと名付けたこと。
NYの印象はそんなもんです。

あ、そういえばひとつだけ良いこともありました。
ナタリーポートマンを生で見ました!!
彼女が主演の舞台を見たんですよ、確か『アンネの日記』
あれはよかったなぁ〜。
ナタリー可愛かった★

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HPはこちらです
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by quasi-world | 2004-09-18 22:03 |
2004年 09月 16日

9/16 かくれんぼ


『もういいか〜い?』

『まあぁだだよぉ〜』

『もういいかーい?』

『まあぁぁだだよぉぉ〜?』


ごめんね いつまでも ごめんね

心苦しいこと自体が

なにより一番 心苦しい

早く 早く

言ってあげたい

『もういいよ』って言ってあげたい

そのために必要な勇気は

きっときっととても小さい

だからこそ

この広い世界では

余計に見つけにくいみたいです
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by quasi-world | 2004-09-16 23:43 |
2004年 09月 16日

9/16 輪廻転生

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先日テレビでおもしろいことを言っていた。
ちょっと宗教っぽい話だが、人は何度も生まれ変わっているらしい。
時には動物や植物に、そして時には人間に。
そうやって、経験という名の徳を積むんだそうだ。

例えば、過去にシダ植物やてんとう虫にしかなったことのない魂が初めて人間としてこの世に生を受けたとき、そのヒトは、ヒトとして経験不足なために、いわゆる「器の大きくない人間」になるらしい。

いるでしょう、日々出会う人の中に、同じものごとの前でも動じないヒトとパニクル人。
些細なことですぐ切れるヒトと、穏やかに物事を受け止められるヒト。
そういう違いってのは、今までに経験してきた過去の徳によるらしい。

つまり、過去を持って生まれ変わってくるわけですね。
もちろん記憶などの具体的なものは何ひとつ持ってないですよ。
そんなもの持っていたら混乱しますから。
ただ、天性の性格、それは徳の積み重ねに比例して、善し悪しが決まるらしいです。

接客の仕事とかをしているヒトはよく分かると思うんですが、
自分の倍以上歳をとってるのに、本気で切れるおじいちゃんとかいますよね。
本当に
「こいつアホじゃないか?」
とうんざりしますが、上のことをふまえてみると、
「ああ、あなた初めてヒトになったんですね。前はカナブンかなんかだったんですか?いやあ、それなら仕方ないですね。気の済むまで怒鳴り散らしなさい。ようこそ人間界へ」
って気分に少しはなるでしょう?

同じものを見て感じるのも、ようはどの角度から見て、どういう心持ちで受け止めてあげるかってことなんですよね。
すごい剣幕でどなりちらす元カナブンにまともにとりあってもだめですよ。
それよりか、俺はこうはならねえ、私は元カナブンなんかじゃないわ、と思って、自分を磨く糧にする方がいいです。

宗教的な面で、輪廻転生を支持するほど、僕は何かの信者ではありませんが、なんとなくこの話を聞いて、長年の疑問がとけた気がします。
育った環境とかつきあう仲間の影響だけでは形成されない部分もヒトにはあるって事、それが妙に納得できました。

それに、前から僕が信じていた、ヒトの一生なんて所詮何か別のもっと大きなものの中の一場面にすぎないっていう理想をも支持してくれてる気がして、少し心が軽くなりました。

毎日、嫌な客を相手に働いてる皆さん、
なにせ相手は元カナブンですから、少し大目にみてあげましょうよ。なんてね。

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HPはこちらでぇす
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by quasi-world | 2004-09-16 23:17 | 哲学