隣人のひとり言

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2005年 06月 30日

6/30 quaff live at 川崎その2

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そーんなわけで、今日で六月も終わりですな〜
あー早いような、ありがたいような。


「ついこの間正月だった・・・」
なんて言ってる友人もいますが、
「おいおい、それは言い過ぎじゃね?」
って思いました。


でも半年ってのは結構あっさり、なんの抵抗もなくすぎる時間ですね。

いやー、びっくり。

この調子でいくと、
すぐに秋が来て、
ああ秋と言えば京都の紅葉を見に行きたいなあ〜
なんて思ってるうちにもうクリスマス。

そんなパターンもありえますね。




・・・え?

ああ、ライブ写真ね。そう、うん。

ごらんの通り、やっぱゆるゆるっす。

2本撮って、1本はクロスじゃなくて普通に現像しよっかなーって思ったんですが、
普通にして甘さが露骨にでるのも嫌なので、
前回同様クロス現像してみました。

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ゆるゆるでしょ?


うーん、でもね、だいぶ学びましたよ。ほんと。

次は絶対もっと良いのが撮れる、
その自信があります。



こうやって時とともに、
流れるように成長していけたらいいな〜って思う今日この頃。
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by quasi-world | 2005-06-30 08:51 | quaff
2005年 06月 28日

6/29 wait and think


今日、TSUTAYAから電話があった

留守電を聞くと、
「お客様がレンタルされたDVDに関してお知らせしたいことが・・・」

なぬ? なんじゃそりゃ?


帰り道、TSUTAYAに寄る


「電話もらったんですが?」
「あ、何か延滞とかされてませんか?」
「は? いや、今何も借りてないので・・」
「前回借りたこちらの映画ですが、ご返却されましたか?」
「はい、先週の土曜に返しましたけど」
「・・えー、少々お待ちください」

店員ビデオを取りにゆく

シリーズもののドラマを借りてたので、店員それを全部持って帰って来る

全てのケースにはちゃんと中身が入ってる

店員バーコードをよむ


「あ、確かにご返却されてます。すいません、こちらの手違いです・・・」
「は?それだけ?」
「は、はい、申し訳ありません」


そこで僕は、

『そんなの電話する前に、ビデオがいま店にあるかどうかを調べたらすぐわかるやん!』

って言葉を飲み込んで、

「そうですか」
とだけ行ってその場を去る。



そのドラマはひと作品一本ずつしかない

だから借りたものがそこにあれば、今そのビデオは誰も借りてないとすぐわかる


僕が上記の言葉を飲み込んで、
相手の不手際を責めずに帰ってきたのは

「どうしてこんなことが起こるのだろう?」

と自分で考え、答えを出してみようと思ったからだ。


考えて分からないことはないーーーこれが僕のモットー☆


ま、今回の事に関してはすごく単純だと思うのですが、

つまり、店員が何故ビデオが今あるかないかを先に確かめずに
僕に電話してきたのかというと、

そういう事が多々起こるから、だろうと思う。


僕は普段滅多に延滞なんかはしないが、
それは僕の話で、お客全体を見ている店員側からすると
延滞する人の人数は決して少ないものではないのだろう。

「ああ、またか」

と店員が思って安易に電話をかけてくるぐらい多いのだろう。


そういう統計的な事実がひとつ。


そして仮にそれが正しかったとしたら、
例えば100人の人が今現在延滞してるとして、
その100本をいちいち店員の人が眼で確認して実際にあるかないかを見て、
データが間違ってないことを確かめ、それから電話をかけるというのは
なんとも合理的ではない。


今回の僕のように、
返しているのに返していないとデータにでるようなケースは
きっと100人に一人くらいだ


そんな小さな確率に当たってしまった不運




ですが、おかげで よい頭の体操ができました☆




皆様も、何か疑問に思うことがあったら、
「なんで?」
ってすぐ人に訊くのではなく、
「なぜなんだろう?」
とまず自分に訊いてみてください。


そうして出した答えには、
他人から教わるよりも何倍も価値があるような気がします☆
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by quasi-world | 2005-06-28 22:57 | 哲学
2005年 06月 25日

6/25 quaffライブ写真

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先日のquaffの川崎でのライブ
初めて写真を撮ってみた、しかも実験的に。

ま、あれですよね、実験ってのは失敗しますよね。ははは・・・


お金がなくて、ISO値の高いフィルムを買うのをしぶったためか、
やっぱぶれぶれです。
シャッタースピード遅すぎ、
ま、仕方ないといえば仕方ないんですが・・・


でも、勉強にはなりました。

ここではもう多くは語りません。

いつか自分を見返してやります。

必ずや満足いくライブ写真を撮ってやります。

ちくしょー



ま、偉人も言ってました

Genius is 1% inspiration and 99% perspiration.
(天才とは1%のひらめきと99%の努力だ)


なもんで、ぼかぁー、諦めませんよ。


さぁー、quaff、次のライブはいつだ!?





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by quasi-world | 2005-06-25 19:18 | quaff
2005年 06月 24日

6/24 スキャナー購入☆

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そーんなわけで

スキャナー購入しました☆ ぱちぱち♪

キャノンファンの僕が、涙をのんで、
少し品質上等で価格安価のEPSONの方を購入。

うー、キャノン、別に浮気じゃないんだよぉー(>_<)



・・・ま、それはいいんですが、
最近フィルムでも写真を撮ってて、
その撮った分が何もされずにずーーっと放置されてたので、
スキャナーで取り込んでいろいろやってます


ですが、あれですね、
難しいですね、フィルムは。

取り込んで、パソコン上に画像がでてきて
「げっ!?」
って思うことが多々ある

ってか、そう思ってばっかり・・・


デジカメは始めから補正を見越して撮ってるけど、
フィルムは、いくらスキャナーで読むとはいえ、
ある程度生の状態で見れるもんじゃないとまずいっすよねー


うーむ、やっぱ撮影時にはアシスタントがいるな
いや、そんな大げさなものじゃなくても
せめてレフ板持ってくれる人が欲しい


むー、・・・どうしよう・・・




でもまあ、フィルムは楽しいですよ
特に白黒

なんか今後白黒にどっぷりはまりそうな気配すらします


がんばるどぉーー!!

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by quasi-world | 2005-06-24 00:56 | 写真+詩
2005年 06月 21日

6/21 誠意って、なにかね・・?



誠意は先入観には勝てない


そんな事実が腐るほど溢れていて

それでいて決して腐らない



そんな地上で僕らが確かめあえるものはなんだろうか?



**********************************


必死に生きてさえいれば
必死に叫んでさえいれば

何かが伝わる世の中じゃない


先日、新宿の街を歩いている時にふっとそう思った

個人レベルでも商売レベルでもそうだが、
誠意だけで解決するものごとは
思いのほか少ない






・・だけど、誠意がなければ 何も伝わらないのも事実




僕は嘘も計算も嫌いだ

だから生き方がすごく不器用だと思う


だけど時々不安になる

誰かを守りながら生きなければならなくなった時
僕は果たして、なにも考えずがむしゃらに、
自分を捨てて 誠意に計算をのせて 嘘をつくことができるだろうか?





随分前の話だが、新聞の勧誘がきた
その人はのっけからものすごく必死だった
ノルマがどうしたとか、サービスつけさせてもらいます、だとか、
しまいには、家族がいる、子供がいる、
そんなことまで口にした。



僕は正直 同情なんて欠片もしなかった


自分の仕事に誇りを持てなくなったら終わりじゃないか?
仕事だからじゃない、
それが自分で選んだ道だからだ。


どんな道でも 自分で選んだんだろ?
責任持てよ
プライド持てよ

誠意の見せ方 間違ってねぇ?




誠意だけでは生きていけないのは
恐らく事実だろう



だけどだったら僕は
誠意を持てなくなる前に死んでやる



今の所 世の中をうまく生きようなんて気は さらさらない

誰かや何かに歩幅を合わせて生きれるほど器用になりたいとも思わない
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by quasi-world | 2005-06-21 23:53 | 哲学
2005年 06月 20日

6/20 考え直してみると

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例えば一度自分で納得して答えを出したことでも
後々になって 再度の熟考をしてみると

「あ、もしかしたらこういう事なのかも知れない」

と思えることも多々ある。

それは何も熟考に限ったことではなくて、
友達との何気ない会話や
自分のふとした感情の変化によって起こる。



以前、このブログにも書いたが、
集団自殺者があとをたたない


僕は昔、それは独りで死ねない奴らが集まってお互いに背中を
押し合って死んでる、そんな弱者の集まりなんだと思っていた

本来、僕は一人で自殺する人を軽蔑はしない
むしろ ちょっと尊敬すらする
それは 死ぬことを選ぶことはやっぱりひとつの生き方だからだ。


勿論例外はありますよ
他人の迷惑とか、他人の気持ちとか考えられない人、
そういう人の自殺は問題外です。



話を戻しましょう


とにかく集団で自殺する人間ってのは、
弱い奴らだと思い込んでいた。

だけど 最近 気がついた



それは一人の人間の優しさなのではないか、と。


例えば、何らかの理由で自殺しようと考えた人が一人いたとしよう

その人は一人でも死ねる人

自殺を決意 決行に移すのは容易なこと



だけど そこでふっと考える



「俺は最後の瞬間に誰かを幸せにできるのではないか?」

「俺を必要としてる人がいるんじゃないか?」



集団自殺とは言っても、そこにはリーダー的な存在の人が必ずいるわけで、
誰かが言い出さないと始まらない


死にたくても 独りじゃ怖くて死ねない
誘ってくれる人をずっと待ってた

そういう人間は少なくないんじゃないだろうか?


そんな時、ふっとネットの掲示板を見たら


『一緒に死にませんか?』


という優しい誘い。


それはその人には 『助け』 にしか見えないでしょう。


生きたいと願いながら癌と戦ってる人の眼に

『癌の特効薬完成』

というニュースが飛び込んでくる感激と等しいかも知れない



こんな考えが、つい先日の僕の頭にふっとよぎった



どんな瞬間にも人との繋がりってのはあるし、

そしてどんな瞬間にも 人には優劣が生まれる


みんな同じなんて 絶対にない

強いもの 弱いもの
賢いもの 愚かなもの
純粋なもの 傷ついたもの


それらの「差」が とてつもない絶妙なバランスを保って
世の中を動かしている



そんな気がした
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by quasi-world | 2005-06-20 22:58 | 哲学
2005年 06月 18日

6/17 最近疲れ気味っす

いやー、久々の更新。
すんません、いつもいつも・・・

なーんか最近、体がおかしい。
いや、
体が調子良かったことなんて小学校低学年以来一度もないけど、
最近、特にしんどい。

あー、だる。

でもね、書きたいことは山ほどあるんですよ。
「集団自殺について」とか
「結婚について」とか
「ものごとの意味について」とか

ま、これ全部同じひとつの事なんだけどね。

うん、そのうち書くよ



で、今日は頭も働かんので、
小説を抜粋。




*****『僕のなかの壊れていない部分』 (白石一文)*****



破壊的な死からどれだけ遠くへ行けるか、

どれだけ死を忘れてしまえるかを試すような幸福は幸福でもなんでもない。

そんな幸福の櫓は高くなればなるほどに、そこからいずれは転落する運命を悲惨なものに

塗りかえていく。


最後の一瞬、空中に放り出された僕たちは、死の海に没するまでの長い長い恐怖の時間、

生まれてきたことを恨み、呪うしかなくなるのだ。



死は海面のようなものだ。



その面をくぐったとたんに僕たちは海中に入る

そこは、僕たちの恐れる死も、愛し合う喜びもないまったく新しい世界だ。


死を通りすぎた先の、
想像のむずかしい、
しかし決して想像することの不可能ではない世界だ



僕は考える。

本当の幸福は死と親密でなければならないのだと

死と親密な、まさに海面すれすれのところにある幸福こそが、

真実の幸福なのだとーーー。




********************************


僕も 本当に そう 思う



2005.6.17 KIRA
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by quasi-world | 2005-06-18 01:09 | 日記みたいな
2005年 06月 14日

6/14 no need to cry

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悲しくて 泣く

そんな気持ちは持ち合わせていない



キミとこうして繋がっているのに

悲しいことなんてあるわけがない

  



だから いつかと同じ笑顔でいよう


だから いつかのための話をしようよ






それ以外は なにもいらない


この幸せは色あせないから
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by quasi-world | 2005-06-14 21:48 |
2005年 06月 11日

6/11 the flower of the bond



約束よりも強い繋がりをください


誓いでもない 決意でもない 




言葉などでは表せない

強い強い繋がりが欲しい







だからキミは種をくれた



「それは与えるものではなく育てるものですよ」

そう教えてくれた






信じる心というのは 一瞬では生まれえない





咲かすにはまず 心を潤そう






強い心の大地に咲く  繋がりという花
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by quasi-world | 2005-06-11 01:28 |
2005年 06月 11日

6/10 運命に勝てるのか

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例えば嫌なことが起きたとしよう

自分ではどうしようもない 嫌なこと
周りから突然自分の前に出現する敵
予定が狂う 前が見えなくなる
へこんで、泣いて、悔しがって、神をにらんだり

そして言う

「これも運命か」と。


そんな簡単には受け入れきれない

だけど いずれ人はそれすら忘れる


立ち直った実感などないまま
周りからは「立ち直ったね」と言われる

仕方なく 歩く
歩くから前を見る

そうすると また現れる
運命が かろやかに 現れる


「よう、また不幸にしてやるぜ」と軽口をたたく


二度目の墜落


キタイはぼろぼろ



その時 そんな時 人の性格というものがでるように思う
僕の「人の強さ」を判断するひとつの基準となる質問


『二度 同じような不幸な運命に遭遇した人間が
二度目の墜落からなんとか体を起こした時に思うのはどっちだ?』



a) 二度あることは 三度ある

b) 三度目の正直



この二つの慣用句のどちらをあなたは思いつきますか??


弱い賢者になるか
強い馬鹿になるか

どちらが幸せなんでしょうか??




僕はずっと 馬鹿でも強い人間でいた
可能性や見込みがなくとも
自信だけは持とうと生きてきた


だが、
最近、上の質問を自身に問うてみたら
知らぬ間に(a)を選ぶ人間になっていた



不安に勝てない程、
運命に歯向かえないほど、

実は僕の心は弱ってたらしい



おかしいなぁ、こんなはずではなかったのに・・・




運命に逆らえるのか?

そもそも運命なんて存在していないと再び思えるのか?


何者にも左右されない自由を手にいれられるのか?







戦いは いつも 苦しい
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by quasi-world | 2005-06-11 00:36 | 哲学