隣人のひとり言

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2004年 06月 06日

5/31 Learning Japanese

先日、日本語学校の交流会というものに参加してきた。高円寺にある日本語学校では定期的にこの会を開いていて、生徒と日本人ボランティアとの交流をはかっている。
そこの学校はアジア系の人が多く、僕が友達になったのも韓国の女の子達だった。
みなさん驚く程日本語が上手い。下手すりゃ僕より上手い(事実)。
でも更に驚いた事に、彼女達には日本人の友達が一人もいないらしい・・。
     
なぜ、こういう事になるのだろうか、ちょっと考えてみた。日本にいながら日本人の友達がいない。あんなに日本語が上手いのに。聞けば単純にチャンスがないのだ、と言う。

確かにアメリカなど、フレンドリーな人種の人々は、国の違いなど気にせず割と気軽に話しかけてくれたりするが、日本人には徹底してそれがない。カフェなどで隣にいる外国人に話しかけるなんて事は皆無だろう。
日本にいる外国人を見ていてよく思うのは、変に日本に染まっていて、フレンドリーさまで失ってしまってるということだ。道で他人とすれ違う時でも、アメリカだと笑顔を見せるのに、
日本では寡黙沈黙無視素通りである。

それが日本の文化だ、と言ってしまえばそれまでだが、果たしてそれでいいのだろうか?
こうなったら日本の文化を根底から変えてやる!!・・・・なんて大それた事思うわけもなく、
でも僕に できる事をやってやろうと考えた。

というわけで、「日本語を教える会」を発足発進させたいと思います。
外国の人々とコミュニケーションをとりたい方、日本語を教えてみたい方、自分にもきっとできる事があると信じてる方、僕と一緒に日本語を教えてみませんか?そんな大した事をやるわけではありません、が、それでも自分にできる事が誰かのためになるのなら、その行動に価値はあるはず。
そう信じて、それを立証してみたいと思います。

興味のある方は、お気軽にメールください。takamitsu000@hotmail.com
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# by quasi-world | 2004-06-06 20:48 | 哲学
2004年 06月 06日

5/30  Mr.Children

僕はアメリカで何年間か生活していたわりに、まったくと言っていい程洋楽を聴かない。
ま、聴いてもせいぜいビートルズくらいである。
その理由は実に単純でかつ明快、ただ単に「歌詞」に共感できないからだ。

人間にそれぞれセンスという意味の才能があるならば、僕には音楽のセンスというものがたぶんまったくない。友達がこれいい「曲」だよ、と言って貸してくれたCDもなにがいいのかわからない内に、苦痛を感じる。「曲」が良くても、僕にはその「良さ」が分からない。
「これいい歌だよ」というのならその歌詞カードだけ貸してくれた方が早いくらいの勢いである。
歌詞カードを読んでるだけで、結構幸せになる。それに音なんてわざわざつけなくてもよい。

もちろん全てを否定するわけではない。最近はMr.Childrenがお気に入りで、よく聴いている。
彼らの歌は歌詞がいい。そしてきっと曲もいい。ただ僕が言いたいのは、いや、僕が感じるのは、いい歌というのは「歌詞」だけ読んでも十分「良い」のである。
それに曲が付くからもっとよくなる、そういうもんだと思う。少なくとも僕にとってはそういうものだ。

Mr.Childrenのファンは数えきれないくらい沢山いるだろう。
コンサートに行く方々も鬼のようにいるだろう。だが、僕はそんな人たちに対してひとつ疑問を投げかけたい。「Mr.Childrenの歌詞の朗読会が、彼らをよく知る第三者の手によって行われるとしたら、いったい何人がそれを聞きにいくだろうか?」
この場合「その第三者が誰かによる」と思った方はアウトです。
本質としてそこにあるのは、どんな想いをMr.Childrenが歌に込めたか、だと思う。それを誰が読むかではない。確信はないが、そう信じている。
自分の想い、考えを伝える方法として言葉を選んだ。そしてそれを歌にした。歌手とはみんなそんなもんなのでは ないだろうか?
「曲」が好きとか、歌ってる人がカッコイイとか、人気があるとか、好きなドラマの主題歌だとか、そんな事は本来の意味、目的とは何の関係もない。
     
彼らが伝えたいと思い、願っているのものは、やはり「歌詞」の中にこそあるような気がする。

だから僕は歌詞を深く読む。そして歌詞を深く聴くのである。

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# by quasi-world | 2004-06-06 20:43 | 音楽
2004年 06月 06日

5/29 make myself busy

来月は割と忙しい。今月、先月と、デザインフェスタの準備の為に結構バイトを少なめに生活していたが、今月はバイトもしっかりいれて、なにより撮影をできる限りやってやろうと、考えてる。幸いなことにモデルをやっていただける人が周りに沢山いて、これなら週一回くらいのペースでも撮れるかなと、休みの日には必ず撮影をいれるようにしている。
とにかく沢山撮ることが上手くなる為の方法だと、先輩からのアドバイスを受けた。本当にその通りだと思う。
むか〜しに撮った写真とか見ていると、「なんだこりは・・」とがっかりくる。
何が撮りたかったんだろう、とか、コンセプトはなんやろう、とか、自分で撮っておきながら皆目検討がつかない。きっと何も考えてなかったんだろうね、ああ。
   
そういえば未だに僕は自分の中で納得のいく作品というのを作り上げていない。
いや、正確に言うと、一瞬は納得する、のだが、しばらくすると魅力を感じなくなってしまう。
熱しやすく冷めやすい、の典型的なパターンかもしれない。
作品として完成すると、「はい、次!」と思ってしまい興味が薄れるのかも知れない。
日常生活でもそんなに執着心はない方だと思う。こだわりはありますよ、でも、去る者は絶対に追わない主義だし、手に入らないものは素直にサヨナラです。

僕の大好きな精神学者エリザベス・キューブラー・ロスはこう言ってました、

『人間はいつも自分が一番欲しいものを必ず手にする事ができるわけではないが、その人に とって一番必要なものは、いつも必ず手にしている。』

どんな大切なものを失っても、どんな苦行を与えられても、「必要だ」と信じることができれば、進むべき道がほんの少し照らされるのかも知れませんね。

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# by quasi-world | 2004-06-06 20:41 | 哲学
2004年 06月 06日

5/28 TIME and Money

昨日、今日と友達とお金についての話をした。金を稼ぐ事、それに僕はまったく魅力を感じない。感じることができない。友達の中には、自分で将来会社を起こしたいと考えてる人もいれば、公務員という安定を手にいれた人もいる。一攫千金を狙い、四苦八苦している人もいれば、ユメ描くだけの人もいる。いろんなタイプが周りにいるが、自分とまったく同じ「金の価値観」を持った人が一人もいないのがまた少し寂しい気もする。

以前、とある会社の説明会を受けにいった時の事、会社の方からこんな質問を投げかけられた:
「この中で、金持ちになりたいと思う人?」
その部屋にはだいたい20人位の人がいただろうか、びっくりした事に、手を挙げなかったのは僕一人だけだった。説明してくれていたおじさんも妙に思ったらしく、「きみ、金持ちにはなりたいと思わないの?」と訊いてくる始末。
とりあえず、「まったく思いません」とだけ返しておいた。

例えばビジネスをやる人間だったりすると、多かれ少なかれ、正当な理由だろうがなかろうが、方法が汚かろうが清かろうが、「金が欲しい!」という心がないと成功しないんだろうな、と考える。
いかにして金を儲けるか、そして儲けた金をまたどう増やすか、それがキーになってくるのだろう。
確かに、金はあればあった方がいい、ただ、僕が嫌なのはそのためにそれよりも遥かに貴重な時間を削ることだ。時間との引き換えが「お金」だったら、僕はそんなものいりません。

時間は貴重ですよ。誰からも与えられることができないものですから。
お小遣いくれる親や祖父母は多いでしょう。ですが、時間は誰もくれませんよ。
それはただそこにあるもの、ですからね。
それは常にそこにある、取るも、触るも、捨てるも自由。そこにあるんですよ、眼の前にほら。
     
見えないものに心を寄せるこの不安定感・・、僕はとっても大好きです。
なんとかしてやろーって燃える。そして、なんとかするのは「自分自身」でしかない、そう思えるから。
    
お金や他人に、守ってもらいたいなんて思わない

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# by quasi-world | 2004-06-06 20:38 | 仕事
2004年 06月 06日

5/27 Men In Suits

仕事を終えて、電車に乗る。スーツ姿の人間があふれてる。僕の思考はいつも三段階でこう変化する。
「疲れてるなあ〜」→「がんばってるなあ〜」→「・・誰も笑ってないなあ・・」
可哀想とか、そんな偉そうな事は思いません。何のためにがんばってるのかとか、そんな愚問も問いません。
ただ、もうちょっと世の中楽しくてもいいんじゃないか、と、幼稚な理想を願います。
でもないんですよね、僕が彼らのためにできる事はひとつも。悔しいけれど、ないんですよ。同じ電車に乗っていても、他人との距離って果てしなく遠いです。目の前に座ってうなだれてる禿げたおっさん、食い入るように小説を読みながら周りの世界からエスケープしてる50歳、泣くよりも辛そうな泣き顔をしている
お父さん、みんな僕の隣にいるのに、違う空間にいるみたい。

僕の詩は、若い人によく読んでもらっていますが、本当はもっと年上のサラリーマンの方々にも読んでいただきたいって気持ちがあります。生き方はひとつじゃないんだってこと、ほどよい自分への無責任が心地良いってこと、
何かにしがみついていたらいつまでも自由じゃないってこと、いろんな事を伝えたい。言葉を聞かせたいってわけじゃなくて、その概念そのものを、渡したい。きっとみんなそんな事本当は分かってて、でも考えないようにしているだけで、忘れた方が楽だということを覚えてしまって、漠然としたものに期待することを諦めてしまってる。そんな風に見えます。

理想だけを語って生きるつもりはありません。でも、理想を信じられない生き方はもっと嫌です。
僕の生き方なんて、本当に単純です。単純に「好き嫌い」の問題なんです。

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# by quasi-world | 2004-06-06 20:36 | 仕事
2004年 06月 06日

5/26 OPEN MIKE

ちょっと前の話になりますが、友達とオープンマイクをやってるカフェにいきました。オープンマイクというのはカフェなどで、いろんな人が自分の詩を読んだり、歌ったり、演奏したり、パフォーマンスしたりするもので、結構アメリカなどでは身近にあるんですが、日本ではまだまだそこまで浸透してないようです。先日見にいったのが僕にとって日本で初めてのオープンマイクだったんですが、なるほど、浸透しない理由が分かったような気がしました。
まー、とにかくすごかったです。そこではポエトリーリーディングをやっていたのですが、なんて表現したらいいんですかねぇ〜、なんか完成されすぎてましたね。もう、来るもの拒みまくります、みたいな感じで。そこにいるみんなが知り合いで、仲間で、傷のなめ合い、褒め合い、慰め合い、って空気で、「ここは僕たちが作った世界です。最高なんです」と、してやったり顔。
すべてのオープンマイクがあんな感じだとは思いませんが、とにかくその場にいた僕と友達はドン引きでした。
     
その時思いましたねー、物事は完成させたら駄目なんだなあ、って。
完成を完璧と勘違いしてしまいますからね、きっと。 自分に新しいものを求めるのは勿論、やっぱり外にも新しさを求めていかないと駄目みたいですね。
うーん、自分の詩を通じて、分かり合える人を捜そうとしていた僕にはほんの ちょっとだけショックでしたが、まあ、「これでいいや」と思わないことですよね。妥協も満足もずっとしない。
探究心とgreedyな心が必要という事でしょう。そして新しい他人からの素直な評価を聞く事ですかね。
     
良い勉強になりました。でもこれからもポエトリーリーディングができるいい場所を探していきます。
どなたかお薦めの場所などありましたら、教えてくださいね。

僕のHPもご覧ください
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# by quasi-world | 2004-06-06 20:29 |
2004年 06月 06日

5/25 abductees

世界を廻りながら真実の愛を見つける例の番組があるじゃないですか、
あれ見てると、今だから特にかも知れないんですが、
北朝鮮に拉致された人々の姿と重なるんですよ。

どうして「限られた人数の中で、人は人を好きになるのか?」
いや、限られてるからこそ、そしてどんな状況でも人は人を好きになるからこそ、ああいった番組が成り立つし、北朝鮮でも日本人同士のカップルがうまい具合に誕生した。(いや、これに関しては事情に精通してないのでなんとも言えないですが。無理矢理くっつけられたのかな?これ以上のコメントは控えよう。)

誤解しないでいただきたいのですが、
僕はあの番組結構好きです。
いろんな国の文化や情勢も紹介してるし、
娯楽として見ているととても楽しい。
ただ毎回「真実の愛」という言葉に違和感を覚える。
入れ替えがあるとはいえ、あんな少人数の中で、
することは恋愛しかない状況(それが目的ですからね)で、「真実」が見つけられるのか?

あれは例えば目の前に5種類のメロンパンを並べられて、
この中から一番好きなものを選べと言われているようなもんだと思う。
悪くない。
でも最高でもきっとない。
世の中は広い。
ベストなんてない、あるのは常にベターばっかり。

だから人は上を目指すし、
手が届かなくて泣いたりする。
今日に満足しても、明日には昨日を後悔したりする。
空に向かって投げたボールが最高点にいるのは一瞬だけ。
あとは自由落下で、それをまた自分で受け止めて、
今度は更に高く、更に力強く投げなくてはいけない。
それが苦しい。

それが、楽しい。

5種類のメロンパンの中から「最高」を見つけた旅人の皆さん、
次は、10種類からの一番を、
その次は100種類からの一番を探してくださいね。
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# by quasi-world | 2004-06-06 20:25 | ニュース
2004年 06月 06日

5/24 Print OUT


昔から思ってた事だが、
自分が頭で考えるイメージをそのまま、
何の加工もせずに、他人に伝えられる装置(能力?)があれば、
人と人とのわだかまりやすれ違いなどひとつもなくなると思う。
そうなって欲しいなあー、と思う時もある、思わない時もある。
なんか怖い気がするしね。

でも、伝えたい事がどうしても伝わらない時や、
10を言っても2くらいしか伝わらない時など、ちょっとイライラする。(ごめんなさい)

写真の撮影などをやっていると、結構幅広い年齢層の人と知り合いになるのだが、
そのギャップのせいかたとえ話がうまく通じない事が多々ある。

僕は話を例える事が多い人間で、我ながら上手く例えたなーって思う時でも、20歳前後の人には「???」って感じ。うーん、ツライ。

たとえ話と言えば、その昔キリストは自分の使徒以外の一般peopleにはいつもたとえ話を使って自分の考えを伝えたって言いますよね?
それってすごいなーって素直に関心します。

キリストは自分の頭の中のイメージをストレートに伝えられる仲間を12人(でしたっけ??)も持っていたんだなーって。
すごい!
僕もいつか、そういう仲間に囲まれて 同じ空間で生きてみたいです。

理想郷ってそういうものかも知れないですね。
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# by quasi-world | 2004-06-06 20:22 | 哲学
2004年 06月 06日

5/23 頭のなまり気

運動不足を気にすることはほぼ諦めかけた僕ですが、
頭がなまる事だけは避けたい。

高校時代の担任教師が数学の担当で、よく
「大人になっても頭の運動のために数学をやれ」
と言っていた。
実行はしていない。(泣)

その代わり、詩や哲学的な事ばかりが頭を巡る。
部屋の中にずっといると体がなまるように頭がなまり、
そういった時は必ず外に出るようにしてる。
そうすると不思議といい言葉が浮かんできたりするからおもしろい。

今日もチャリ をこぎ、100円ショップでお菓子とオリーブオイルを買って帰ってくる途中に 突然、何故か

「この世界には続きがある」ーー

そんな言葉がふってきた。意味はよくわからない、でもおもしろい。

人間ってどうして自分の脳が考える事を100%理解できないんだろうか?
よく感情は脳がコントロールしているとかなんとか言いますが、
じゃあ脳は何がコントロールしてるんだろうか?
そう突き詰めていくと、やはり哲学の大きなquestionである
「自分ってなに?」
に辿りつくんですよねー。

ほんと、自分っていったい何なんだろう・・・
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# by quasi-world | 2004-06-06 20:15 | 哲学