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隣人のひとり言

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2004年 09月 16日

9/16 輪廻転生

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先日テレビでおもしろいことを言っていた。
ちょっと宗教っぽい話だが、人は何度も生まれ変わっているらしい。
時には動物や植物に、そして時には人間に。
そうやって、経験という名の徳を積むんだそうだ。

例えば、過去にシダ植物やてんとう虫にしかなったことのない魂が初めて人間としてこの世に生を受けたとき、そのヒトは、ヒトとして経験不足なために、いわゆる「器の大きくない人間」になるらしい。

いるでしょう、日々出会う人の中に、同じものごとの前でも動じないヒトとパニクル人。
些細なことですぐ切れるヒトと、穏やかに物事を受け止められるヒト。
そういう違いってのは、今までに経験してきた過去の徳によるらしい。

つまり、過去を持って生まれ変わってくるわけですね。
もちろん記憶などの具体的なものは何ひとつ持ってないですよ。
そんなもの持っていたら混乱しますから。
ただ、天性の性格、それは徳の積み重ねに比例して、善し悪しが決まるらしいです。

接客の仕事とかをしているヒトはよく分かると思うんですが、
自分の倍以上歳をとってるのに、本気で切れるおじいちゃんとかいますよね。
本当に
「こいつアホじゃないか?」
とうんざりしますが、上のことをふまえてみると、
「ああ、あなた初めてヒトになったんですね。前はカナブンかなんかだったんですか?いやあ、それなら仕方ないですね。気の済むまで怒鳴り散らしなさい。ようこそ人間界へ」
って気分に少しはなるでしょう?

同じものを見て感じるのも、ようはどの角度から見て、どういう心持ちで受け止めてあげるかってことなんですよね。
すごい剣幕でどなりちらす元カナブンにまともにとりあってもだめですよ。
それよりか、俺はこうはならねえ、私は元カナブンなんかじゃないわ、と思って、自分を磨く糧にする方がいいです。

宗教的な面で、輪廻転生を支持するほど、僕は何かの信者ではありませんが、なんとなくこの話を聞いて、長年の疑問がとけた気がします。
育った環境とかつきあう仲間の影響だけでは形成されない部分もヒトにはあるって事、それが妙に納得できました。

それに、前から僕が信じていた、ヒトの一生なんて所詮何か別のもっと大きなものの中の一場面にすぎないっていう理想をも支持してくれてる気がして、少し心が軽くなりました。

毎日、嫌な客を相手に働いてる皆さん、
なにせ相手は元カナブンですから、少し大目にみてあげましょうよ。なんてね。

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by quasi-world | 2004-09-16 23:17 | 哲学


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