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隣人のひとり言

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2004年 10月 15日

10/15 考えることの価値の有無


僕はずっと考えて生きてきた。
でも、時々考えることに疲れる、ほとほと疲れる。

『考えない方が楽』、そういう事実もあるでしょう。
でもね、それができない。
ほんと、上手く生きれないなあ、と思う。


何が一番しんどいのか?
それはね、僕と同じくらい考えることをしない人(たぶん半分くらいの人はそう)と
しゃべってる時にどうしても、

『自分とは違う考えの価値を持ってる人なんだ』

ということを忘れてしまう、ということ。

「考えない価値」というものがあるのを知ってるくせに
時々、場面場面で
「ここはどうしても考えるべき場面だ!」
と信じて疑えない。
自分を、疑えない。
馬鹿みたいに
自分が正しいと思ってしまう。言ってしまう。

だから
ごめんなさい。



・・・・・・
でもね、
これは本当にみんなに言いたいんですが、

他人の気持ちを、もう少し考えて行動した方がいいと思いませんか?
気を遣うっていう窮屈な感じじゃなくて、
自分の中だけで処理する理解みたいな。

特に自分が忙しい時。
他人に構ってる暇ない時。
「あなたの悩みを聞く余裕ないの私」みたいな時。
「仕事忙しいから、休みの日くらい休ませてよ」な時。
「私いまラブラブだから、あんたの別れ話なんて聞きたくない」モードの時。

そんな時にこそ、
他人の気持ちをいつも以上に考えてあげないといけない気がする。

何故か?

それは知能が鈍ってるからですよ、そういう時は得てして。


感情にも人生にも浮き沈みのないフラットな日だったら普通に気がつくような事も、
自分の人生という船が荒波を航海中だと、どうしても他人の気持ちが聞こえない。

それを『仕方ない』のつまらない一言で終わらせていいものか?

たぶんよくない。

問題はそんな心の余裕をどうやって作るのか、だと思う。

たぶん難しい。

でもね、余裕があるからやる、ってもんでもないんですよ、
他人の気持ちを考えるってのは。
余裕がなくても、当たり前のようにやるべき事なんですよ。
潤滑に全てを回すには。

昔ある人が言ってました

『他人を非難しても自分を正当化することにはならない』と。

よくいますよね、何か悪いことした時に、急に他人が過去やった悪事を持ち出して、
自分の今の罪をあやふやにしようとする人。

例えば遅刻して来た人が待ってた相手に責められた時に
『お前だってこの前遅刻したじゃん』
って、バカかお前は。

仕返しか?復讐か?
遅刻されて嫌だったんなら、それを他の相手にしてやるなよ。
少なくともあんたの中では、遅刻=悪い事 って事実があるんでしょ?
それが分かっててなんで悪い事すんの、ってね。
いっぱいいますよ、そういう人は。


あなたの中に正義はありますか?自分なりの正義は?

悪い事した、って思ったらまず謝りませんか?
それから、相手と一緒に、どこをどう改善したら同じ失敗をもうしないか、
話し合いませんか?

それでもこいつとは、
それでもあの人とは、
一緒にいたいと思う。
そういう利害の一致があるわけですから、
話し合えばきっと上手く行きますよ。





・・・・・・
理想 ですね、僕が語るのは。
ただの理想。
夢。妄想。愚想。

現実はもっとドロドロでキツキツで。
わかってますよ、そんな事。

あなたに言われなくても
そんな事は僕が一番よく分かってます。

同じ現実を目の前にして
「諦めよう」と思うのか
それでも「なんとかしよう」と思うのか

要するに問題はそこの意識の違いですよ。

by quasi-world | 2004-10-15 22:44 | 哲学


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